どん底人生から幸せを掴んだ一般人の人生物語 幼少期~青年期 

私は幼稚園のとき、図画工作でいろんな賞をとったり、小学校では運動が人よりも得意であった。

そんな子供は世の中が自分中心に回っていると思います。

私はそんな子供でした。

自分は世間一般の幸せな人生を送っており、不幸なことは何もないと思っていました。

しかし小学4年生のある時、急に日常の中で異様な変化を目の当たりにしました。

家にいると母親がため息を繰り返して、急に独り言を言うようになったのです。

「あー、お金がない。どうしよう・・・と。」

最初は何を言っているんだろうと、あまり気に留めていなかったのですが、母親が毎日のように独り言を言っていたので次第に、気になるようになりました。

それまでは基本的優しい母親、自分を守ってくれる母親でした。

それが、急に思詰めたように毎日繰り返し言うのです。

しまいには煙草を吸いだすというこれまで見たことのない姿を晒し始めました。

私の中の理想像だった母親の姿が、見事に崩れ去り、当時の私はとてもつらい気持ちになりました。

次第に家にいたくないと思うようになりました。

また「自分は幸せな家庭の子である」という固定観念を、現実はバッサリと打ち砕きました。

家にいるときは母親のそばにいないよう別の部屋にいました。

当時の出来事が子供心にショックを与えたのは今でもはっきりと覚えています。

母親の変化の原因は、父親が会社員をやめ、自営業に転身してしばらくたったころで、事業があまりうまくいっていなかったようで、収入が減ってしまい、お金に困っていたことのようでした。

私の父はお世辞にも良い父とは言えず、自分勝手で家よりも自分のことを優先と考える人でした。自分に優先的にお金を使い、家に入れるお金もピンハネしていました。

っとこのことは当時の私は当然知りませんでした。最近になって父親が脳梗塞を患い、社会復帰ができなくなったことで、これまでの膿がいろいろと出てきて知りました。

当時の母親は、父の行動とお金がないことに苦しみ、その状況を一人で背負い込んでストレスを抱えている状態でした。確か、そのころから母親は出来高払いの仕事に就くようになったと記憶しています。(水商売ではありません)

そんな状況は私自身にも大きなストレスとなり、学校が現実を逃避する場所になっていきました。

家に帰りたくないっと毎日思っていました。

このころから自分の家庭は周りと違うんだと認識するようになりました。

人生で家庭の違いで友達ができることが自分のうちではできないっという劣等感を感じるようになりました。

家では常にストレスを抱えていたため、次第に、家の中では考えるということをやめてしまいました。

考えることをやめることで、気持ちがどれだけ楽になるかを知りました。

現在の私は、すでにあるものや与えられた材料の中で問題や課題に取り組むことはできるのですが、能動的に考えて一から新しいことを生み出すようなことが苦手です。

この特性は、この時期の影響で自ら考える力失わせたのだとと感じています。

つまり何も考えないことで楽になれるという逃げ道を、小学生ながらで会得したことで、考えることを放棄するようになったのです。

初めての高校受験では、正直自分の意思はなく、親が良いといった高校に入りました。

中学生の時には何もやる意欲がわかず、入部したバスケ部を数週間で辞めました。

中学から塾に通ったのですが、自分からの勉強を考える意思はなく、先生の言われたことを暗記するだけでした。

そこある深い意味などは全く考えていませんでした。

中学生のころには仲の良い友達はいませんでした。

高校陸上部との出会い

高校に入学して、小学校の時に大好きだった走高跳がやりたいと思い陸上部に入部しました。

私はこの陸上部を高校3年間やり遂げたのですが、実はこの部活で自分のタフさ、一つのことをやり遂げる気持ちを培うことができました。

陸上部は私の高校の中で最も厳しい部活でした。顧問は体育大学卒でインターハイで入賞するレベルで、190㎝でやくざの様な雰囲気のある人でした。

毎日の部活を通して、とてもかけがえのない友人に出会いました。

厳しい部活だったので、部員はみんなとてもまじめでした。

私の陳腐な人生に変化を与えてくれた場所でした。

あるエピソードがあります。

私の高校は偏差値60の中堅校でしたが、校風が自由でありほとんどの人が茶髪にしていました。

一方で陸上部部員は髪の毛の色を変えるなんてことは誰もしませんでした。

そんな中で、私が高校二年生の時に魔が差して髪の毛を茶髪にしてしまい、部活の顧問に鬼の形相で怒られました。

それだけではなく、顧問が部員税員に練習をすることを禁止してしまいました。

このとき私は、自分の行動により部員全員に不利益を被らせてしまい、後悔しました。

その後すぐに顧問に謝り、もう二度と人に迷惑をかける行動をとらないと思うようになりました。

この経験は、現在の私の行動原理にもなっています。人の輪を乱すことが嫌いで、調和することを好む。

そんな厳しい陸上部を3年間やり遂げて自分の中でも何かをやり通すという自信がつきました。

大学受験が迫ってましたが、私は実家を離れたいと思っていました。

家では、お金がないことで母親は常に苦しんでおり、気ままな父親と喧嘩することが多く、

このまま家に居続けたら、自分の精神が崩壊するかもしれないと思いました。

現に、思春期のころも、そんな家にいる自分が人と付き合うなんておこがましいと卑屈に思ったりもしていました。

受験は失敗して、浪人生活に突入します。

浪人生活をするときには、母親に懇願しました。

申し訳ないけど来年に国立大学に入るから、浪人させてほしいと。

母親は嫌とは言いませんでした。教育に対してはお金をケチることをしませんでした。

が、学資保険を取り崩して予備校に通わせてくれたのです。

ここでも私の悪い癖がでました。

予備校講師の言うことを暗記したら志望校に行けるんだっと、基本考えることをせずにいました。

結果、成績はさほど伸びませんでした。センター試験もボロボロで、2次試験が自分の得意科目だけで勝負できる地方の国立大学の学科を受けることにしました。

その結果、何をするかよくわからない学科に合格しました。

大学では特にやりたいことはありませんが、とにかく実家を出られることに救われました。

ちなみに私は大学で実家を出て以降、家に戻ることはほとんどありませんでした。

大学ではお金がなかったので、一か月4000円の学生寮に入りました。

正直、ボロボロで普通に見たら人が住むところではないような寮です。

けれども私は実家を出られただけで、とても心が救われました。

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