【リアル】どん底から幸せを掴んだ一般人の人生物語 大学生時代

実家を出て学生寮で暮らすことになった私は、とても清々しい気持ちでした。

両親のことは嫌いではなかったのですが、それ以上に家で家族の不調和な状態を見るのが辛かったので、そこから逃げることができて救われました。

あのまま家にいたら、きっと私は気持ちが塞ぎ、その置かれた状況により劣等感で心が蝕まれ、生きる楽しさを捨ててしまったと思います。

学生寮は1回生~8回生まで住んでおり、回生の低い人は相部屋でした。部屋は8畳程度と2人で暮らすには狭い空間だったため、プライベート空間は皆無でした。

でも私にとってはとても心地よかったです。

寮生活で得られたこと

まず私の人生の糧となったのは、寮での生活です。

寮の運営は全て学生が行います。その中で集団生活の大切さを学びました。

寮では先輩が後輩にお金を出させません。週末は基本外食であり、食事をするときは後輩を適当に連れて行って全部自分たちで出します。私も回生が低いときは先輩方に大変お世話になりました。そしてしてもらったことは、自分が上回生になった時に後輩にするようにしていました。甘い汁だけを吸うのではなく、「施されたら、施し返す。恩返しです!!」っという意識が芽生えました。そのなかでは上下関係の大切なこともいっぱい学びました。

そこでは集団で何かをする際の心構えなども学ぶことができました。

これは今でも自分の中で大事にしていることです。

また寮生とは、基本家にお金がなく仕方なく入る人がほとんどです。また家庭環境があまりよくない人などもそれなりにいました。

そのため寮生と一緒に過ごす時間をとおして自分の家庭にお金がないことやを劣等感に思うことがなくなっていきました。

周りにも私と同じような境遇の人はいるんだということを認識して、あまり悲観的にならないでもいいんだっと思えるようにもなりました。

また寮生は衣食住をともに過ごしているため、大変な寮の行事なども一緒に乗り越えなければいけないので絆が深くなり、仲良くなります。

そのため寮生は悪乗りして、結構無茶苦茶なことをします。

例えば、全国ダーツの旅もどきの企画を立てて、寮生数十でペアとなって、夏休みを使って日本のランダムな場所に行って写真を撮って帰ってくるとか、テーマに沿った写真を撮る企画を立てて、待ちゆく人に声をかけて写真をとって審査を受けたり、町でナンパをして上級生に合コンをもっていったりなど、

これまでの私の人生ではありえないようなことが、当たり前のように行われて、毎日がとても刺激的でした。

これまでは何をするにも世間体や常識を気にして生きてきた私の殻が、破れて精神的にも強くなったと感じました。

こんな私も1回生の夏休みに、今までの自分と決別したいと思い、東海地方から沖縄まで自転車で行こうということ思いつき、実行しました。そのなかで野宿やゆく先々の人に助けられたり、仲良くなったりして、その旅を楽しむことができました。

その時は、見ず知らずの人と数日間一緒に過ごしたり、途中お金が無くなり家に数日間泊めてもらったり、

ドミトリーという素泊まりホテルで見ず知らずの人たちと宴会をしたり、日常ではあまりできない経験をたくさんしました。

正直私は人見知りが強く、知らない人と何かをするということができない人間だったので、この経験は私を成長させてくれたと思います。

周囲と比べて欠落している自分の能力への気づき

寮は集団生活だからこそ、寮生と過ごす時間は長く、いろんなことを一緒にやっていくなかで、人とは違う自分の能力にも気づくことがあります。

これは社会にでて何かを集団で実行した時に気づくものに似ていると思います。

私はこの時期に、周りと比べて自分は何かに打ち込みやすく、冷めやすい人間だと気づきました。

つまり何かをしようとするも、比較的早い段階で辞めてしまうのです。

自分の中では、やめるのは芽が出ないからっということをある程度して悟ってしまうものに関してはっということに気が付きました。当時は寮で鍛えられて、なんでもできると思い、思いついたら行動するという理念で動いていました。そのため、よく考えたら無茶なことでも、まずは行動するので、行動の数が増えて、結果やめる数も増えていたのです。

個々で得た自分の特性は、今でも引き継が得れており、仕事において自分にとって無茶なことはしないで、自分でできることを選択してやっていくという行動に表れています。(これはある意味で自分の能力以上の新しいことに挑戦するということをあきらめているとも見えますが)

要は無難なことを確実にしていこうという性格です。

また寮では、寮祭という祭りを自分たちでゼロから作るという伝統的な行事があります。

毎年全1回生が担当となり、毎日夜中まで寮祭の企画などを話し合って作っていくのです。

このような場で、自発的に各自が意見をぶつけながら、企画を作っていくのです。

しかし私は自分から意見を言うということが、明らかに苦手であるということを自覚しました。

っというか何かを実行するという中で自分の意見がないっと言ったほうが良いのかもしれません。

新しいものを生み出す能力がないと自分では自覚しています。

そして周りで議論を進めていく話についていけなくなります。これは単純に何を言っているのか議論の流れが理解できなくなっていたのです。なので意見を求められた時には、自分でも何を言っているのかよくわからない、支離滅裂なことをいっているということが良くありました。

また自分の意見が相手に変に思われていたらどうしようという、恐怖心も重なっていました。

そしてそんな状態になるため、私は次第に意見を言う場にいることが億劫になり、自分に意見を求められたらどうしようっと不安になり、動悸がするようになっていました。

それの不安がますます、意見を言えないという悪循環になっていました。

実は現在でも、自分の意見を言うことは苦手です。

でも事の時と違うのは、意見は人それぞれ違っているし、意見を言うことでその場に何かしらの影響を与えることができるっということに社会人になって気づくことができたので、動悸がするような状況、極度に不安がるような状況になることがなくなりました。

このように克服(しているのかわからないですが)できたのは、寮祭の会議を長い時間続けて自分の能力の欠如に気が付くことがきっかけとなり、常に意識して向き合うことができるようになったため、解決の糸口にたどり着けたと思っています。

アルバイトを通した経験

大学生生活は、1回生までは基本寮にどっぷりとつかっていました。

2回生になることには少しずつ寮以外のコミュニティーを築いていくようになりました。

2回生になるころに某スーパーの家電量販店でアルバイトを始めました。

ここでは寮生とは違う、いわゆる一般的な家庭の学生が多くバイトをしていました。

このころの私は寮で多くの経験を積んで、自分の劣等感を脱却しており、自分が恵まれないかもしれないが、もっと恵まれない人も世の中にはいるから、人生は終わりじゃない。結局、世の中にはいろんな人がいて、その人の状況によって生き方を決めるのは自分なんだという、考えが備わっていました。

なので、バイトは悲観的になるどころか、とても楽しんでいました。毎月100時間弱入って、自分で使うお金をしっかりと働いて稼ぐようになりました。

結局このバイトは私が学部を卒業するまで続けていました。

このバイトでも、接客するときの人との関わり方や学生らしい人付き合いもたくさん経験できました。(カラーの濃い寮とは違うごく普通の学生として)

研究室に入って得られたこと

研修室では自分の研究テーマをもって、研究に打ち込みます。

研究を通して、見えてきた私の特徴ですが結論から言うと、

論理的に物事を捉えて、まとめる力がひどく弱いっということ。

物事の理解力が低いということ。ただこれは、自分が本当に好きなものじゃない場合。

このことに気づいたのは研究の英語論文を自分で要約してゼミで発表するときでした。

わたしは自分で要約したものをプレゼンして、その質問に対して全く答えることができないという状態が続きました。

そして、研究室史上で最多のリジェクト(再発表)記録を塗り替えました。確か1つの論文の要約発表で6回リジェクトされたと思います。周りゼミ生はほとんどが1回でOKを貰えているのに、自分はなぜできないのかと真剣に悩んだのを覚えています。

当時は答えが出なくて、ただひたすら論文を読み直して発表を繰り返していたのですが、

今になるとその理由が分かります。

それは論文の内容を、ただの文章の羅列として読んでいただけでした。

言葉の裏側にある意味っというものを理解しようとしていませんでした。

なぜそんなことが起こっていたのかというと、昔の私の性質であるただ目の前のことをするだけでよいのであるっという、受動的な思考に陥っていたからだと思います。(元の発端は、当時家庭にいるのがいやになり、考えることをやめたて、それが私の根底で習慣化されていたことであると思います。)

問題に対して、なぜっという問いかけをやめてしまっていた自分には、解決できない問題だったと思っています。

結局大学院まで行った私ですが、学生の間にその答えに到達することはありませんでした。

でも逆に言うと、失敗を繰り返していたことで、忍耐力が普通の人よりも突出するようになりました。

自分は周りよりも能力がないからその分根気でカバーするんだっという考えになっていきました。

今でこそ、原因が分かったのですが、この時に培った忍耐力は今でも自分の血肉となっており、本当に辛いときでも逃げることなく立ち向かっていく力になっています。

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